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研究談話室(1)

2012年9月30日

対話1:「研究者になりたい」?!

Aさん:わたし、研究者になりたいと思って、ご相談に来たのですが。

X先生:ほう、それで何を研究したいんですか?

Aさん:それが分からなくて、ご相談に来たんです。こんなご相談、おかしいですよね……

X先生:いや、そうでもありません。そういうご相談、初めてではありませんから。たしかに、最初はビックリしましたね。研究テーマが初めにあって、それで、どこの大学院に行ったらいいか、というのがむかしはふつうの相談でしたから。

Aさん:むかしの学生さんにとって「研究テーマ」ってどんなものだったのでしょう?

X先生:たとえば、文学系の学生なら、トルストイをやりたいとかバルザックをやりたいとか。思想系の学生なら、ニーチェとかサルトルとか、―こんなふうに、作家や思想家たちの名前が出てくるのがふつうでしたね。もちろん、もう少し広い関心から、「実存主義」を勉強したいとか、「批判理論」をやりたいとか、「フランス象徴主義」とか「ドイツ・ロマン派」とか……

Aさん:わたしの場合、そういう人の名前がぜんぜん出てこなくて……。でも、研究者になりたい、研究者になって、この社会をきちんと捉えてみたいと思うんです。

X先生:立ち入って失礼だけど、社会人ですか?

Aさん:はい、S社に5年勤めて、最近退社しました。人生の意味というか、働くことの意味というか、漠然としていますけど、そんなことを考えまして……

X先生:それで、「研究者になろう」と思ったんですね?

Aさん:はい、研究者になって、ちゃんと研究すれば、そういうことに答えがみつかるかなって思いました。変でしょうか?

X先生:いいえ、さっきも言ったように、最初はビックリしましたけど、今は驚きません。というより、そういう「入り方」もあるかなって思います。以前のように、研究テーマがあって研究者になるのとちがって、漠然としているけれど、自分と社会のあいだに、なんとなく食い違いというか、違和感があるということですね?

Aさん:そんな感じです。それで、何かを知りたいなと思うんですが、何を知りたいのかというと、分からなくて……

X先生:あなたの今いる位置は、多分、現代社会という大きな建物の入り口の前にいて、でもドアにはカギがかかっていて、入れない。入れさえすれば、現代社会を研究できるのに……、――そんな位置かな、と思いますよ。そのカギを手に入れることは、厳密にいえば、研究者になることではなく、その一歩手前の、「最終準備段階」ということになります。

Aさん:それはどうしてですか?

X先生:つまりね、カギを手に入れて、建物の中に入って、現代社会と対面したとき、もしその人が「ずっと現代社会の解明を続けていきたい」と思えば、当然、研究者になるでしょうけど、もし「現代社会の仕組みはある程度分かった。これからは社会との一騎打ちだ」と思ったら、その人は、例えば、経済または政治の世界に入ってゆくでしょうからね。

Aさん:その、あとの方のタイプでもいいんでしょうか?

X先生:もちろんです。大学に残って、本を読むだけが「研究者」の生き方ではありません。社会の現実の中で、「問題」と取り組むのも「研究者」の生き方です。とくに、現代社会は、そこに生きるすべての人に、そういう「研究者」としての訓練を要求しているのかもしれませんね。

対話2:現代社会・文化・言語・観光の研究って何だろう?

Aさん:先生、私の研究テーマは、やはり、「現代社会」とか「現代文化」あるいは「言語」にかかわることになるんでしょうか? でも、現代社会や文化や言語についての研究ってどんなことをするのでしょう?

X先生:自分の研究テーマが関わる現代社会の側面がすこしはっきりしてきたのは、たしかに、一歩前進ですけど、実際の研究のスタートラインからはまだ少し遠いでしょうね。

Aさん: どういうことですか?

X先生:つまり、研究テーマが大きすぎるから。

Aさん:もっと小さいテーマの方がいいと?……

X先生:いいえ、そうではありません。ここはとても大事なところですが、自分の研究する対象は「現代社会」や「文化」あるいは「言語」そのものだという、 あなたの感覚というか、問題意識はとてもいい。問題意識はいくら大きくてもいいんです。でも、その「大きな問題意識」をそのまま背負って、研究に踏み出す とどうなると思います?

Aさん:どうなるんですか?

X先生:たちまち途方に暮れるでしょう。多分、あなたは「現代社会論」という本を探してきて、期待して読むでしょうね。そういう本はたくさん出ていますか ら。でも、たちまちガッカリするでしょう。読んでみると、例えば、第1章は「現代政治」、第2章は「現代経済」、あとエンエンと「現代科学」とか「現代の 思想」とか「現代の人間」とか「現代のメディア」とか「現代のコミュニケーション」とか…。あるいは、もう少し細分化された「コミュニケーション論」とか 「言語学入門」という本を読んだとしても同じようなことになるでしょうね。

Aさん:そうそう、そうなんです。章ごとの執筆者はその分野の専門家で、わたしの知らないことをたくさん教えてくれますが、読み終わって、「現代社会」や「コミュニケーション」「言語」の研究って何をするのかがよく分かったかというと……

X先生:あいかわらず、よく分からない、というわけだよね。例えば、「現代社会」という大きなテーマを論じるとき、それを「政治」「経済」「文化」「思 想」等々と、細かく分けて論じてゆくというのはまったく正しい行き方だし、はっきりいうと、ほかに行き方はありません。ところが、その行き方がどうもうま く行かない。多くの人たちが、いまそれを感じて、変だな、おかしいな、どこがちがっているんだろう、と考えています。

Aさん:先生がたも、ですか?

X先生:もちろんですとも。私たちは、「現代社会」を特にメディアとコミュニケーションとそれを支える言語の視点から捉える研究の道を選んだわけですから、メディア、コミュニケーション、言語って、社会のどのような「部分」なのか、いつも考えますね。

Aさん:「部分」っていうのは、「分野」とか「領域」という意味ですね?

X先生:そうです。ところが、いくら考えてもよく分からない。メディアもコミュニケーションも言語も、社会のあらゆる「部分」に深く浸透していて、「政 治」の世界も「経済」の世界もメディアやコミュニケーションや言語なしでは考えられない。私たちの「私生活」という「社会の一部分」でさえ、インターネッ トなしでは、もう考えられないものとなっていませんか? あなたは新聞を読みますか、「紙の」という意味ですけど。

Aさん:読みません。ネットで読みます、毎日。

X先生:そうなんだ。……こんなふうに、メディアやコミュニケーションや言語は社会の「部分」として、ある意味で「固有の領域」をもちながら、社会「全 体」をすっぽり包んでいるようなイメージがある。じゃあ、メディア、コミュニケーション、言語は「部分」ではなくて「全体」なのかというと、そうだという 人はまずいないでしょう。例えば、「メディアなくして政治なし」といえるかもしれませんが、「メディアがあれば、政治はいらない」という人はいないから。 メディアは明らかに「部分」なのに、考えていると、いつのまにか「全体」に化けてしまう。さっきも言いましたように、研究は必ず「部分」から出発するもの で、「部分」かと思ったら、すぐに「全体」に化けてしまう「お化けメディア」を研究するのはホントに大変です。でも、これをつかまえなければ、「現代社 会」に関わる問題は、それがどんなものでも、それに取り組むことはむずかしいでしょうね。


対話3:「お化け」のつかまえ方―「概念」「分類」「因果関係」

Aさん:メディア、コミュニケーション、言語は「お化け」のようなものとおっしゃいましたけど、そのつかまえ方をぜひおしえてください。

X先生:ううむ。……その「つかまえ方」がこれこれだと分かっていればねえ、ホントに楽なんだけど。いまは試行錯誤の連続です。それでも、ごく一般的な形で言えることはないわけではありませんけど。……

Aさん:それをぜひ。

X先生:さきほど、「現代社会」というテーマは大きすぎるので、その「部分」をみつけて、そこから研究するんだっていったでしょう。ところ、その「部分」がまだまだ大きくて、こっちは「部分」を研究しているつもりなのに、いつのまにか「全体」に「化けて」しまう。……

Aさん:だから、「お化け」だと……

X先生:そう、それでね、ここから話が、研究者によって、少しずつズレてくるんだけど、私のようなタイプの研究者はどう考えるかというとね、「部分」がま だまだ大きいのなら、もっともっと「小さい部分」――「具体的な内容」をいったんすべて脇において、その中心にある核のようなモノ(多分、もうモノじゃな くて、「性質」だろうけど)――があるんじゃないか。私はそれを「概念」とよんでいるけど、「正しい概念」が見つかれば、「お化け」は退散する、多分ね。

Aさん:「正しい概念」は一つなんでしょうか?

X先生:いや、「現代社会」とか「現代文化」はやたら複雑ですからね、「核」は1個ということはなさそうですね。だから、みんなで協力して一つ一つ探して いるところです。例えば、あるタイプの研究者はこう考えます、「現代社会や文化の根底には、それらを見えないところで支えている心の働きがある」とね。こ ういう人間の心の働きでもっとも重要な役割を果たしているのがコミュニケーションや言語というわけです。そこで、現代社会のいろいろな問題をコミュニケー ションや言語という視点から考えるという方法もあるのです。

Aさん:わあ、明快でいいですね!

X先生:うん。りんごの性質を知りたければ、りんごを1個もってきて、それを色とか形とか味のような特徴のどれかを中心にして観察する。そうすれば、りん ごに共通の特徴がだいたい分かる。それと同じように、人間の「心の働き」を観察すれば、「現代社会」の特徴がある程度分かる、というわけ。

Aさん:えーっと、でも、研究者って観察することで何をしているんでしょう?

X先生:そうですね、研究者は、観察して、その結果を分析することで新しい知識を作っているんじゃないかな。この意味で、研究者というのは、モノを作る職 人と似ているんじゃないかしら。ただ、研究者が作るのは、モノではなくて、「新しい知識」だけどね。本質的なところだけを見てみると、研究者というのは、 誰も知らなかった新しい知識――それまでわからなかった何かがわかったという感覚を私たちに与えてくれるような種類の知識――を創造する人、知識の職人と 言っていいんじゃないかな。

Aさん:はい、なんとなく研究者のイメージがわかりました。でも、研究者が作る新しい知識ってどんなものなんでしょう?

X先生:一つは分類することによって得られる「知識」かな。「分類」そのものに特別な意味はありません。ふつうの意味の「グループ分け」です。むしろ、問題は「分類の基準」で、どんな「基準」で分類するかに、研究者の力量というか独創性がかかっているわけ。
 ひとつ例をあげて考えて見ましょう。日本語には雨の名前が多いのですが、この雨の名前を分類してみると、降り方(小雨、疏雨、小糠雨、豪雨)、降る時刻 (暁雨、夕雨、暮雨、夜雨)、季節(春雨、桜雨、梅雨、五月雨、虎が雨、麦雨、秋雨、氷雨、寒雨)などいくつかの特徴(つまり「基準」)にもとづいて分け られていることがわかります。分類という方法で整理してみると、ばらばらだった雨の名前が「お互いに関係づけられたグループ」に分けられることがわかっ て、「雨」の名前の意味が以前より少し深く理解できたように感じませんか。
 ところで、いまあげた「分類の基準」――降り方、降る時刻、季節――は、たまたまあげただけで、他にそれに代わるものがないということではありません。 他の誰もが思いつかないような独創的な基準があれば、まったく別のグループが出てきて、そこから何か新しいものが突然出てくる可能性があります。そのと き、私たちは「これまで知られていなかった雨の性質がわかった」と感じるのではないでしょうか。これが、「新しい知識」の一つの作り方です。実は、新しい 知識にはもう一つあるんですよ。

Aさん:それは何ですか?

X先生:もう一つはね、見えないところで、できごと同士を関係づけている原因や由来を示す知識。因果関係というやつ。物事をつなぐ原因や因果関係の連鎖を 知るということも、私たちに「何かがわかった」という感覚を与えてくれる働きを持っています。さきほどの雨の話でいうとね、たとえば、「夕立」の意味は、 一説では、「夕べに雲が立つ」ということらしい。つまり、むかしの人は、夕方に雲が立つと、(途中、複雑な「因果関係の連鎖」があるわけだけど、それは省 略して)雨が降ると思っていたわけだ。それがわかった時、私たちは、「夕立」の意味についてより深い理解が得られたと感じます。非常に単純化して言うと、このように、ものごとを注意深く観察し、その結果を分析して、ものごとを分類したり、ものごとの背後に隠れている因果関係を明ら かにしたりして、「新しい知識」を作り出すのが研究者の仕事であると、あくまで一般論としてだけどね、言えそうな気がします。


対話4:「現代社会」「文化」「言語」の研究をするには?

Aさん:先生のお話をうかがっていて、ますます研究者になりたくなってきました。「現代社会」や「文化」や「言語」について、「新しい知識」は、がんばればいつかは作ることができるんでしょうか?

X先生:その質問は、ベンチャービジネスを立ち上げた人が、「必ず成功しますよね?」と聞いているのと同じですね。「イエス」と答える人を信用してはいけ ませんよ。いま言えることは、そこそこの準備と心がまえがあって、一応正しい方向性でスタートした研究は、ひょっとすると成功する可能性があるというこ と、これに対して、そうでない研究は、うまく行かないとしたらそれは必然で、うまく行ったとしたらそれは偶然だ、ということだけですね。現代社会はすさまじい勢いで変化していますから、それに応じて「心の働き」としてのコミュニケーションや言語もどんどん新しい側面を見せている。そし て、この変化は、社会のいろんなできごとと密接に関係しているはずなんだけど、その分類や隠れた因果関係の連鎖はよく分かっていない。そういうことは無数 にあるし、そういうできごとはたえず新しく生まれています。そういうものの一つに注目して、それについての「新しい知識」を作るという作業が私たちの研究 のエッセンスと言えそうな気がしています。

Aさん:社会や人の心の働きにかかわることで分かっていないことって多いんですね? でも、具体的な研究テーマをどうやって見つけたらいいんでしょう。

X先生:それには、いくつかの道があると思います。まず第一は、一つの分野の本や論文を読んで、その内容に疑問を持ったり、そこには書かれていないことを 知りたいと思ったりすることだと思います。「ひとの論文を読め」というアドバイスはいかにも平凡に聞こえますが、これは大事なアドバイスで、私たちの研究 は最終的に論文の形で完結するわけですから、他人の研究もその論文の中で完結しているはず。それを読んで、もし、すごい! と思うなら、その研究者に密着 して勉強すればいい、ということになる。その勉強の中から、あなた独自のテーマが出てくるかもしれない。
 第二は、日常生活や仕事で気づいた小さな疑問や驚きを大切にすることかな。ふだん私たちは、仕事や課題を達成するために効率よく生きることに慣れて、すぐ には役に立たない、むだに見えることをしなくなる。つまり、狭い枠組みでモノを考えることに慣れて、それを超えた問題をちょっと立ち止まって考えることを しなくなります。そのためにかえって、生活に潜む面白い問題や改善の可能性に気づかないことも多い。

Aさん:テーマが少し見えてきたと感じたとき、そこから実際に研究を始めるためにはどんなことをしたらいいんでしょう。

X先生:先ほど研究者は職人と似たところがあると言いましたが、実は、その分野の知識や技術の学び方という点でも似ているんです。意外かもしれませんが、 職人と同じで、研究者も、厳密にいうと、どうやって研究するかを直接教えることはできないのです。研究者は、基本的に、他の研究者の優れた仕事をみて、そ れをお手本にしてマネをして研究を行うことで、研究の仕方を学ぶしかない。
 ある分野で、その分野の研究の「型」となるような研究があると、まわりの研究者たちはそれをお手本にして、研究を始めます。だから、興味のある問題がみつ かったら、その問題に似た問題を研究している分野で研究をしている研究者に実際に会って話してみるのが一番いい方法だと思いますよ(だから、あなたが私に 会いに来たのは、まったくの正解です。ただ、残念ながら、私はまだ「お手本」のレベルに達していないのが、あなたの誤算だっただけ)。
なんとなく問題がわかりかけているのだけれど、うまくそれを問題として定義できないとき、勇気を出していちばん近いと思う分野の研究者と話してみることです。仮に思っていた通りでなかったとしても、先に進むための何らかの助言や示唆がきっと得られるでしょう。 
 大学で開催されている講演会やシンポジウムやワークショップなどのイベントに参加することも、研究成果を非常に高い密度で学ぶ機会になるし、優れた研究者のモノの見方や姿勢を学ぶ上でも非常に参考になりますよ。また分野がどのように発展したかという歴史を知ることも研究を進める上で大きな助けになります。少しテーマが明確化したところで、その分野の研究史について書かれた本があればぜひ読んでみるとよいと思います。

Aさん:大学院で勉強したら、どんな職業につけるんでしょう?大学に残って研究者になるんでしょうか?

X先生:大学院で研究をしたら、研究者として大学に職を見つけることも、もちろん、考えられます。しかし、人文・社会科学の分野でも、最近では、大学に研究者として就職するには、修士を終えて、博士の学位をとることがますます必要になってきています。
 その一方で、大学に研究者として残ることが唯一の道というわけではありません。前にも言いましたが、現代社会はさまざまな分野で研究者的訓練を経た人材を求めています。研究者としての訓練は、その領域の「新しい知識」を利用したり、 自分で生み出したりするための技術や方法を身につけるということと実は同じです。「新しい知識」を利用したり、生み出したりすることができれば、日々変化 する現代社会状況への実践的対応がより容易になるはずですからね。人はみなそれぞれに、生きるための物語を必要としています。そして、生きている限り新しい物語をつむぎ続けます。「私そのものである物語」をつむぐ 「私」。「私を作っている私」――この「再帰性」は、「部分」だと思ったらいつのまにか「全体」に化けている現代社会の「再帰性」とよく似ていますね。私 たちも立派に「現代社会」の構成要素です。大学院での研究を一つの選択肢として、みなさんがつむぐ人生の物語の中にどんなふうに位置づけられるか、すこし時間を取ってゆっくり考えてみてはいかがでしょうか。きっと答えが見つかるでしょう。そうしたらまた来てくださいね。