西村 龍一 / NISHIMURA Ryuichi

  • 西村 龍一
    職名:
    教授
    担当分野:
    メディア文化論

担当授業

現代メディア文化論
研究倫理と手法
メディアと表象

授業内容

認識-表現の根底にあるメディア

私たちがものごとを認識し、認識したことを表現する、そこには必ず何らかのメディアの働きがあります。もっとも根源的なメディアである言語。あるいは外界を知覚するメディアとしての視覚や聴覚。19世紀の写真や映画、20世紀の電話、TV、コンピュータ、インターネット等のメディア技術の革新は、したがって認識-表現そのものの条件を大きく変えてきました。この変化への鋭敏な「問題意識」を共有する文化や思想を、私は現代メディア文化でありその研究であると考えています。それはたんにアニメやネットといった「現代」的な文化現象に限定されるものではありません。すべての認識-表現のメディアは、たがいに深くジャングルのように絡み合っているからです。このジャングルでの道の見つけ方、それが私の授業や研究が目指すものです。

略歴・主要業績

東京大学人文科学研究科独語独文学修士。主要な論文に「「呼びかけと応答」―日系カナダ人アーティスト、シンディ・モチズキのアート・アニメーションにおける「記憶」の表現」(共著)、「情報の「人形」の形而上学――押井守のゴースト連作について」 「知覚複製メディアとアウラへの意識」 「電話の声とアイデンティティ――『ねじまき鳥クロニクル』あるいはメディア時代の文学」 等がある。

北海道大学研究者総覧 個人ページ

所属学会

日本独文学会、情報文化学会、表象文化論学会

電子メール

ryu@imc.hokudai.ac.jp

研究領域

メディア思想、現代文化論、表象文化論

研究コラム

 思想家・批評家としてのヴァルター・ベンヤミンの幅広い活動領域を追う形で、現在の学院での研究領域に入ってきた。思想としてのベンヤミンを研究している観点からすると、いわゆるメディア思想と呼ばれるものは、あらゆるメディアの基盤にある言語というメディアについての本質的な思考が、往々にして不足しているように思われる。メディア技術が社会や文化を変容させることが、いかに現象的にもっともらしく思われるにしても、その変容の「意味」は言語によって名指され表現されなければならないからだ。メディア思想を根底から考え直すということは、本当は言語に関するひとつの哲学を必要とするのではないか。 

別の観点からすれば、そうした「意味」を招き寄せ発生させる基盤として、社会学者がケータイでの女子高生のおしゃべりに注目するのと少なくとも同じ程度には、現代の優れたメディア表現に注目すべきだと考えている。メディア思想と呼ばれるテクストもまた、多くがメディア理論と言うよりはむしろそのような意味でのメディア表現なのである。